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麗風会クイズ
開校120年を超える母校とともに歩んできた麗風会の歴史がわかるクイズです
全5問、ぜひ挑戦してみてください
Q1
明治34年埼玉県高等女学校を卒業した19名の1回生により発足した同窓会組織。
「麗風会」と名付けられたのは、何時代?
①明治 ②大正 ③昭和
一女の歴代の制服
明治〜大正
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Q1の答え③昭和 昭和25年4月の総会にていくつかの候補の中から投票により決定されました。 「麗」はウララ、ウララカと読んで心さわやかにはればれしいことであり、浦和の音にも通じることなどから名付けられました。
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Q2の答え②当時の校長先生 創立以来、歴代母校の校長先生が会長を兼任されてきました。 昭和30年当時の校長先生の「会長は会員の中から」というご提案で初めて卒業生が会長に就任しました。
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Q3の答え①木製 「私は昭和19年に入学しました。憧れの銀の校章は木製の粗末な物になっていて、色もはげやすく茶色の木地が出てしまいます。失くしてボール紙に絵の具で描いて作ったこともありました。」 (当時の生徒さんの思い出より抜粋)
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Q4の答え①結婚相談 昭和42年より会員とその紹介者限定で開始しました。平成2年には、申込み数男性353名女性399名となりましたが、その後、社会の各分野での卒業生の活躍、結婚に対する価値観の多様化、個人情報保護法の施行などにより、平成19年に終了しました。
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Q5の答え『卒業生みんなが会員 麗風会』 明治34年、埼玉県高等女学校を卒業した1回生19名による発足以来、2022年には4万人を超える会員数となっています。
Q2
麗風会の初代会長は誰?
① 第1回卒業生
② 当時の校長先生
③ 元浦和市長
一女の歴代の制服
大正〜昭和初期
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Q1の答え③昭和 昭和25年4月の総会にていくつかの候補の中から投票により決定されました。 「麗」はウララ、ウララカと読んで心さわやかにはればれしいことであり、浦和の音にも通じることなどから名付けられました。
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Q2の答え②当時の校長先生 創立以来、歴代母校の校長先生が会長を兼任されてきました。 昭和30年当時の校長先生の「会長は会員の中から」というご提案で初めて卒業生が会長に就任しました。
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Q3の答え①木製 「私は昭和19年に入学しました。憧れの銀の校章は木製の粗末な物になっていて、色もはげやすく茶色の木地が出てしまいます。失くしてボール紙に絵の具で描いて作ったこともありました。」 (当時の生徒さんの思い出より抜粋)
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Q4の答え①結婚相談 昭和42年より会員とその紹介者限定で開始しました。平成2年には、申込み数男性353名女性399名となりましたが、その後、社会の各分野での卒業生の活躍、結婚に対する価値観の多様化、個人情報保護法の施行などにより、平成19年に終了しました。
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Q5の答え『卒業生みんなが会員 麗風会』 明治34年、埼玉県高等女学校を卒業した1回生19名による発足以来、2022年には4万人を超える会員数となっています。
Q3
麗風会が毎年新入生に贈呈している校章。
第二次世界大戦中に金属類回収のため、何製になった時期があった?
①木製 ②布製 ③紙製
一女の歴代の制服
戦時中
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Q1の答え③昭和 昭和25年4月の総会にていくつかの候補の中から投票により決定されました。 「麗」はウララ、ウララカと読んで心さわやかにはればれしいことであり、浦和の音にも通じることなどから名付けられました。
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Q2の答え②当時の校長先生 創立以来、歴代母校の校長先生が会長を兼任されてきました。 昭和30年当時の校長先生の「会長は会員の中から」というご提案で初めて卒業生が会長に就任しました。
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Q3の答え①木製 「私は昭和19年に入学しました。憧れの銀の校章は木製の粗末な物になっていて、色もはげやすく茶色の木地が出てしまいます。失くしてボール紙に絵の具で描いて作ったこともありました。」 (当時の生徒さんの思い出より抜粋)
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Q4の答え①結婚相談 昭和42年より会員とその紹介者限定で開始しました。平成2年には、申込み数男性353名女性399名となりましたが、その後、社会の各分野での卒業生の活躍、結婚に対する価値観の多様化、個人情報保護法の施行などにより、平成19年に終了しました。
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Q5の答え『卒業生みんなが会員 麗風会』 明治34年、埼玉県高等女学校を卒業した1回生19名による発足以来、2022年には4万人を超える会員数となっています。
Q4
麗風会に過去実際に存在した相談部門は?
①結婚相談
②進路相談
③法律相談
一女の歴代の制服
昭和初期から戦時初期
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Q1の答え③昭和 昭和25年4月の総会にていくつかの候補の中から投票により決定されました。 「麗」はウララ、ウララカと読んで心さわやかにはればれしいことであり、浦和の音にも通じることなどから名付けられました。
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Q2の答え②当時の校長先生 創立以来、歴代母校の校長先生が会長を兼任されてきました。 昭和30年当時の校長先生の「会長は会員の中から」というご提案で初めて卒業生が会長に就任しました。
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Q3の答え①木製 「私は昭和19年に入学しました。憧れの銀の校章は木製の粗末な物になっていて、色もはげやすく茶色の木地が出てしまいます。失くしてボール紙に絵の具で描いて作ったこともありました。」 (当時の生徒さんの思い出より抜粋)
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Q4の答え①結婚相談 昭和42年より会員とその紹介者限定で開始しました。平成2年には、申込み数男性353名女性399名となりましたが、その後、社会の各分野での卒業生の活躍、結婚に対する価値観の多様化、個人情報保護法の施行などにより、平成19年に終了しました。
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Q5の答え『卒業生みんなが会員 麗風会』 明治34年、埼玉県高等女学校を卒業した1回生19名による発足以来、2022年には4万人を超える会員数となっています。
Q5
麗風会は母校の応援団!
全ての卒業生が会員です。
さて、発足した明治34年から現在までの累計会員数は何名?
①約2万人 ②約4万人 ③約6万人
一女の歴代の制服
戦後から現代
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Q1の答え③昭和 昭和25年4月の総会にていくつかの候補の中から投票により決定されました。 「麗」はウララ、ウララカと読んで心さわやかにはればれしいことであり、浦和の音にも通じることなどから名付けられました。
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Q2の答え②当時の校長先生 創立以来、歴代母校の校長先生が会長を兼任されてきました。 昭和30年当時の校長先生の「会長は会員の中から」というご提案で初めて卒業生が会長に就任しました。
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Q3の答え①木製 「私は昭和19年に入学しました。憧れの銀の校章は木製の粗末な物になっていて、色もはげやすく茶色の木地が出てしまいます。失くしてボール紙に絵の具で描いて作ったこともありました。」 (当時の生徒さんの思い出より抜粋)
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Q4の答え①結婚相談 昭和42年より会員とその紹介者限定で開始しました。平成2年には、申込み数男性353名女性399名となりましたが、その後、社会の各分野での卒業生の活躍、結婚に対する価値観の多様化、個人情報保護法の施行などにより、平成19年に終了しました。
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Q5の答え『卒業生みんなが会員 麗風会』 明治34年、埼玉県高等女学校を卒業した1回生19名による発足以来、2022年には4万人を超える会員数となっています。
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